箱テスト
647 :箱テスト:2008/01/15(火) 15:51:01
リアトラ的と言うかどうか分かりませんが、今自分が思い描く願望実現のプロセスがあります。
例えば、自分がある目的を抱いたとしましょう。
金儲けでも良いし、親孝行でも良いし、仇討ちでも良い。w
とにかくある目的をしっかりと思い浮かべ、それを叶えたいと思った。
そのとき、その目的は自分の内部に描かれる。
そして、自分の内部は、膨大で莫大な不思議空間と繋がっている。
この不思議空間は、全人類、全生物、意識ある全存在とつながっている。
というか、この不思議空間がないと意識が誕生しない、と言うようなもの。
(仮定の仮定)
意識の表層で思い描いた願望を、意識の奥へ奥へと導く。
その途中で「それ、本当に必要なの?」フィルターがある。
自意識の下、無意識層のフィルターとか、不随意的な自立判定システムといえる。
とにかくも「必要なの?」と「つっこみ」がはいる。
不必要だと思うような願望はその時に排除される。
鼻から空気を吸ったときに、ホコリやゴミが鼻毛に引っかかるようなものだ。w
他の人と比べたことはないけれど、自分の場合このフィルターはかなり厳密だ。
誤魔化しがきかない。
思いつきの願望だの、言葉を組み合わせただけの願いなどは、この時点で排除される。
そのフィルターをくぐり抜けるには、断固たる意味をその願望に持たせなければならない。
鼻毛フィルターがあっても、勢いあるホコリは吸い上げちゃうように。w
あるいは、分割するとOK。
美女をはべらかしたい。そう願ったとき、その願いそのものはフィルタで排除されても、
「自分の劣等感を美しい女性に優しくされることで埋め合わせたい」
と、願いを細分化すればそのフィルターは通ることがある。
ゴミやホコリは鼻毛フィルターで遮断できても、細菌やウィルスは通せないような物だw
648 :箱テスト:2008/01/15(火) 16:08:57
意識の奥には「源流」があると自分は考えてます。
これは意識の底ではないです。意識の下でもないし。奥です。
同じフロアにあって、いくつかのドアをくぐり抜けた向こうにある、というイメージです。
集合的無意識だとは思わない。
なぜなら「源流」は世界そのもののエネルギーだと思っているから。
意識という範疇を超えた、巨大な渦や流れ、そういうイメージ。
エイブラハム本ではそれを「ソース:源」としてましたな。
リアトラではバリアント空間だな。
自分はそれを「源流」と呼びたい。
意識の素材であり、意識の源であり、流れもあるから。
そして、源流=自分ではなく、源流は自分と同じ素材であり通じ合っている流れだと思う。
で。
この源流にたどり着くにはいくつかの扉を開けなければならない。
でもその数は少ない。せいぜい2個か3個ではないかと思ってます。
自分的には第一のフィルターと、第二のフィルターかな?って気がしてます。
単なる思いつきかどうか、タダの言葉の組み合わせかどうかを、第一のフィルターで確認。
その言葉に思いつき以上、願いと呼んで言い思いが込められていたらそこを通過する。
そして第二のフィルターで「それ、願望でないと本当にダメなの?」と代案考察が促される。
お金が欲しいと言ったとき、心底本気で欲しいと思ったら、第一層はなんなく通過する。
でも、第二層では思いの「量」だけでは通過できない。
お金が欲しい! → 何でお金が欲しいの?
「お金が有れば結婚ができるのに」 → お金の有無と結婚は関係ないですよ。
「借金がなければどんなに自由がきくだろう」 → 自由を作る気があれば借金関係ないですよ。
それ、ホントにお金がないと実現できないことなの??
どのフィルターでも、フィルタリングの構造は同じだと思います。
「思いこみの量」と「思いこみの形」が測られるんだと思う。
649 :箱テスト:2008/01/15(火) 16:20:41
自分の中にフィルターがあるという感覚は、引き寄せ等で願望実現を試みた人なら分かると思う。
それを通過するには「自分が納得できるきちんとした意味づけ」が必要だと言うことも。
他人の不幸せを願う願望を抱いたとき、自分の内なる声がすかさず拒否反応を示しませんか?
それって、かなり否定的で願望そのものを拒絶するような強い反応であると思います。
それらを無視して「あいつを不幸にしたいんだ!!」といっても、その願いは通らない。
奥へと続く扉を開けられることはなく、フィルターがそれを拒否するから。
その拒否は感情ナビではっきりと分かるはずです。
胸が痛む、おっくうになる、怖じ気づく、ビビル、罪悪感を感じる。
そういう感情的反応が自分の中で起きてると思うんですよね。
これは明らかにNGのサインでしょう。自分で自分を認めていないって事ですから。
自分で自分が納得しない限り、願望は排除され続けるんですよね。
自分を誤魔化すことは出来ない。
宝くじに当たってウハウハしたいんだよ!と2ちゃんに書いてみても、
それが自分の胸の奥に運ばれたときに「いや、そうじゃねえよ、そこじゃねえんだよ」
という反応があったら、それが自分の望みと直結してる結果なのだ。
意識の表層の組み合わせではなく、意識の奥で行われる選別作業、それも自分なのだから。
650 :箱テスト:2008/01/15(火) 16:40:02
このような物がフィルタリングされるのだ、とフィルターの中身を一概に決めることは
出来ないと思います。自分が生まれ育った環境や、教え込まれてきた価値観、
今自分が存在してる社会の法律や通念。
そういう複雑な条件が重なり、自分に見合う形でフィルターとなって、心の中に
存在していると思います。フィルターが幾つあって、どのような構成になってるかは
各人によって異なると思うんですよねえ。
でね。
フィルターをくぐり抜けることが出来たら、源流にたどり着くのか?といったら、違うと思うんです。
いくつかの扉を開けると、源流にはケッコウあっさりたどり着く。
湧き上がる思考のおしゃべりをくぐり抜け、呼吸に注意し、感情の浮き沈みもただ見つめる。
深く静かに、自分を見つめる。奥へ、奥へ、奥へと。
すると、不意に全く掴みきれないような不思議な感覚が訪れると思います。
浮かんでるような、漂ってるような、不思議な感覚。
自分なんかは耳がじんじんしてくるような感触も覚えます。
瞑想したことある人なら、この感覚って頷けて貰えると思うんです。
心静かにしたときに訪れる、アレです。w
自分はアレこそが源流へと続く扉だと思ってます。
というか源流に接しているときの感覚だと思ってます。
フィルターを通過した願望を胸に抱き、あの感覚に浸り「源流」へ願いを投げる。
そういうイメージで自分はやってみました。
てか、フィルターを通過しない願いを胸にしてると、あの感覚に浸れないんですよねえ。
必ず自分で自問自答が開始されて、そっちに気取られてしまうから。w
651 :箱テスト:2008/01/15(火) 16:56:07
自分にとって「あの感覚」はココロの扉を開け源流に触れているって感じなんです。
だので「辿り着く」ということではないなあ、と思っています。
自分も引き寄せとかを読み「源:ソース」ってのが最初イメージしにくかった。
だので、箱テストの際には、具体的にこういう感じでイメージしてたんですよね。
想像で洞窟を描きます。
洞窟の中で所々に泉がわいており、泉のそこは光っている。
その泉の中に入る。光の源を追いかける。
下へ下へと追いかけてると、いつの間にか上下感覚がなくなり、
光の通路にいるような気になる。その通路をくぐり抜ると、そこには巨大な空間がある。
空間の中央には「光り輝く巨大な繭(マユ)」があり、巨大な空間の「壁」には
無数の穴がある。繭からまばゆい光りが糸のように無数に出ており、それが無数の穴、
自分の洞窟へつながる通路に入ってきてる。
って、感じのイメージ。
箱テストの時には、この光り輝く巨大な繭の上に、願いを投げるようなイメージを持ちました。
洞窟に入り、通路を抜け、繭に辿り着く。無数の光が糸のように流舞する繭の上に立ち、
願いを繭の上に置く。
願いとは「箱を手にして喜んでる自分」です。
この願望:イメージを写真のように想定し、その写真を繭の上におきます。
光の波の中に写真は流れ吸い込まれ、何処とも知れぬ場所へ運ばれていく。
当然ですが「同じ事をしても願いが叶わないぞ!」といわれても困ります。w
「これは私のやり方」です、としか言いようがないんですから。ww
リアトラによっても、エイブラハム本によっても「実現しない理由」は色々ありますからねえ。
自分的には願望が実現しないのは、フィルタリングの問題+源流へのアクセス方法だと思ってます。
実はフィルターで弾かれてるのに、自分を誤魔化してるケースが自分にはありました。
宝くじなんてまさにそれ。幾ら思いこんでも、フィルターで拒否されてる感じです。
あと、他人への干渉、それもマイナスな動機による願望は全然ダメです。
それを思い描いた瞬間「光の繭」を想像することが出来ない。
ネガティブなことを抱えたままだと、あの何とも言えない包まれてるような感覚が
全く沸いてこない。自分ではっきりと「アクセスできない」と思いましたもの。
思い描いた願望が自分フィルターをくぐり抜け、それを源流へ投げこむ。
これが出来れば、自分は願望実現が行われると思っています。
源へのアクセス方法は、人によって様々ですから自分なりにヤルしかないと思います。
基本は「内観」だと思いますよ。
652 :箱テスト:2008/01/15(火) 17:13:40
って、他人様を無視した連投でしたな。
はっはっは。まあ、たまにはいいじゃん。今日は暇だったんだよね~。ww
でも書いて自覚できたわ。
「フィルタリング」と「アクセス」この2つが重要だって事を。
特に「アクセス」ね。
変な話なんだけどサー。
願望実現方法実施(光る繭の想像)や、瞑想をしてる「あの感覚」に浸ると、
願望を抱くこと自体どうでも良いと思うようになることがあるんだよね。
とにかく気持ちよくて「願望」とかいって拘るのが馬鹿みたいに思えてねえ。ww
金?いらねえよ、別に。
職業??なんとでもなるって。
てか、気持ちいいんだから邪魔すんなよ。
浸っていたいんだよ。w
こういう感覚+フィルタリング。
願望実現とかを追求し始めると、ドンドン願望が減っていくのって私だけだろうか?w
662 :願いを叶えた名無しさん:2008/01/15(火) 22:27:47
>>652
そういうもんじゃないですかね。人間はストレスが減ると願望も減るんですよ。
精神的に満たされれば願望は多分0になるんですよ。
全てを受け入れて、全てそのままで良いと感じて満足してしまう状態ね。
足りるを知る、というものの究極の状態。
で、実際のところ、そうなった方が良いんじゃないかな。
物理的なものは何も引き寄せる必要がなくなるだろうし。
衣食住とかの最低限の引き寄せは、多分本能的に無意識レベルで
自動でやり続けることになるから、何も考える必要がなくなる。
心臓が動いたり呼吸したりするのと同じで意識する必要なし。
666 :箱テスト:2008/01/15(火) 23:58:02
>>662
うん。まず、欠乏から来る願望が目に見えて減っていくのが自分でも分かりました。
劣等感や負い目、社会的なプレッシャーから来る義務感とか。
ソレら圧力から生じる欠乏感、ソレらを埋めるための願望。
願望実現によって、こう言うのが一つ一つ減っていくことで、自分がどんどん軽くなっていきました。
恋人をとても大切に思ってますが、自分が「恋人が欲しい」と思っていた、
あの焦燥感は二度と味わうことはないな、と思います。
満たされた故の余裕ではなく、あの渇きは幸せを忘れたからなんだ、ってはっきりと分かりますから。
変な話、今の恋人と上手く行かなくなっても、自分は幸せであることをもう忘れないでしょう。
だからもう、あの渇きに見舞われることはない、そう思っています。
とまあ、欠乏感はなくなったんですが、別の気持ちがわいてきましてね。w
夢というか、やりたいことと言のが沸いてきて、そこに向かうって気になってくるんですよね。
今は十分満たされてるんだから今のままで良いのに、なぜかそこに向かいたくなるんです。
ある情景を思い浮かべると、涙がこぼれますね。
その情景の中に自分は行くんだ、そう思うとなんだか力がみなぎります。
このことでなら、引き寄せとかを全力投入できる。そういう感じなんです。
だから欠乏感が満たされてると、また別の願いが出てくるような気がします。