108 ◆90KoxUVipw劇場 第24幕
【LOA】ザ・シークレット【引き寄せ】その24より

【第144章】 願いが叶う「適切なタイミング」っていつ?

【第145章】 不足している状態の現実は、知覚不全が引き起こしている幻覚

【第146章】 エゴの見解に依存することなく、常に別の領域の視点に立つ

【第147章】 両親の病気と自分のしんどい境遇に対する恨み

【第148章】 否定形メソッドは、そこに恐怖心あるかどうかに注目する


【第144章】 願いが叶う「適切なタイミング」っていつ?

208 :本当にあった怖い名無し:2008/05/26(月) 02:06:48 ID:CNEFbo/9O

現状の生活や生き方に満足している人ってのは、本屋で引き寄せ系の本を
手にすることはないと思うし、このスレにも無縁だと思う

引き寄せ本を手にした人の中には、すでに人生において目指しているものや目標があり
その過程で自己啓発本的に引き寄せの本を手にして、目標に向かって引き寄せを役立てたいって
思ってる人もいるだろう。

が、かなりの人がこれといった勝負に出れるような目標が発見できないが、現状に満足できなくて
引き寄せ本を買った人が多いと思う(現状に満足してる人は引き寄せ本を引き寄せない)

例えば、バシャールが言うとこの人生をかけるくらいのワクワクすることが浮かんでこないが、
でも決して現状には満足していないっていう人は108氏から見て、どういう位置にいるのだろうか?
それについて108氏メソッドはどうアドバイスするのだろうか?


213 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/26(月) 02:51:23 ID:WkIG8GXE0

>>208
仰っていることは分かりますが、その対象となる人物がいまいちピンと来ません。
私が、基本的に実践者の方からのご指名に限ってレスしているのは、具体的に何が問題点なのか
見えやすいからです。

一番アドバイスしやすいのは、切羽詰まっている人です。
感情も現象面も、かなりハッキリとしたコントラストを持っているからです。
でも208さんの言うような人は、

「単にスピリチュアルに興味を抱き始めている人」

という場合もあります。
悩みが明確に顕在化していないため、本人も何が必要なのか自覚がないのです。

問題が顕在化していない場合、アドバイスは出来ません。
全ての人に対して、包括的なアドバイスは不可能です。
というのは、それぞれのレベルで様々な経験をしている人に対して、

「いま、あなたにはこれが必要なのだ」

と言ったところで、当人がピンと来なければ意味がないからです。
言うとしたら「目覚めよ!」程度のことですがw
これも当人が、今は欲していない場合も大いにあり得るのです。

ということで、もし208さんが
「自分はこうなんだけど、どうしたらいい?」
ということなら、何か言えるかもしれません。


237 :63:2008/05/26(月) 11:25:33 ID:+P1ETWBV0

108さん
話は変わりますが、最近エゴとは別の領域を感じ取ろうとしています。
日常では難しいので、瞑想でやっていますが(判断しない、考えないなど、
時間をとって強制的に存在を感じようとしている)、調子いいです。

ふと「株をやりたいなあ」「文章書く練習したいなあ」などと思うと、
無料セミナーの案内や、勉強方法の情報が届いたりします。

そんな細かいことは叶うのですが、大きなことは難しいですね。
もしかしたら、今は「適切なタイミング」ではないのかもしれません。


506 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 00:53:00 ID:1BEUIOqH0

>>237
> そんな細かいことは叶うのですが、大きなことは難しいですね。


本当は、大きなことから叶ったって良いんですよ。
エイブラハムが言うように、難易度に差はないのです。

でも我々は、物理法則が支配している(ように見える)
この現実界にひどく集中しすぎているため、なかなかそれを許すことが出来ないんです。

だから、引き寄せや望む現実の創造に関しても
「小さなことから出来るようになって、着実に実力を育み、
そのレベルになったら、大きなことも成し遂げられるだろう」
こういう条件付けを、自動的に自分に適用してしまうんです。

つまり「適切なタイミングではない」というのは、
あなたの今の信念にとって「適切でない」というだけのことです。
納得の出来る範囲で、徐々に許していっているということに過ぎません。

大切なのは、絶えずハードルを下げ続けることです。
それが観念を変更するということであり、望ましい信念に再構築する、ということです。



【第145章】 不足している状態の現実は、知覚不全が引き起こしている幻覚

239 :本当にあった怖い名無し:2008/05/26(月) 11:39:24 ID:xPPXGAdX0

108さん
>>215での >>200さんへのレスの中で、
>今、出来てください。それを選べば可能になります。
上に書いたように、あなた方は何も出来ていなくても、いますぐに幸せを感じて良いのです。


ここについておたずねします。
最近ようやく、何もなくても「いま、私は幸せ~」と感じられるようになってきました。
ホントに今すぐ幸せになれるんだと、体験、感覚としてわかりました。

だけどその後すぐ「でも現実には、今も何も叶ってない」という思いが出てきます。
頭では、目の前の現実はすべて叶った状態、だととらえているし、
そう思うことで幸せな感覚が湧き上がってくることもあるのに、
それでもやはり「意図してる願いは何も叶ってないやん、あんた 」という声は消えず。

「願望が今すでに叶った状態」というメソッドについて、過去ログを読み漁りましたが、
実践としてはなかなかピンとこず、それも、いつまでも出てくる「叶ってないやん、あんた。」
という思いと関係があるんだろうな~と思っているのですが、そこから、どうしたらいいのかわからず、
ムシャクシャした気分です。

まとめられなくて申し訳ないです。。。。
今すぐ幸せを感じることはできるけど、あんたの望む願望は何も叶ってないやん、という声、
これをどうしたらいいのか、アドバイスをいただけないでしょうか?


240 :本当にあった怖い名無し:2008/05/26(月) 11:50:01 ID:FTcisY6b0

自分は、その後に続いて
「あんたの願望は何も叶っていない」

「なのに、私にこんなに辛い思いをさせた○○はとっても幸せにしている」
「憎い、死ねばいいのに」「なんであんなことしておいてあんな待遇のところにいるんだ」
「ムカつく。不幸になれ」

…と妄想連想してしまいます。どうしたら「忘れられる」でしょうか。
経験したことが繰り返し蘇り、夢までみる始末。いつまでたっても忘れられない。

今幸せな状態を体感したはずなのに、なぜ次の時間で過去に引き戻されるのか。
これがエゴの所作ですか?


507 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 00:54:17 ID:1BEUIOqH0

>>239、>>240
私が語っていることについて、若干の誤解があるようです。
同じように誤解されている方もいるかもしれないので、この部分を少し慎重に補足しておきます。

「今すぐに幸せを感じていい」
というのは、

「実際には幸せといえる状況ではないけれど、心の中では幸せを『感じる』ことは出来る」
ということではありません。文字通り、

「実際に、現実の物理的現象として、幸せを『体験』して良い」

ということです。

> 頭では、目の前の現実はすべて叶った状態、だととらえているし、


目の前の「不足している状態の現実」が、叶った状態なのではありません。
あなたが今認識できていない「充足している状態の現実」が、叶った状態であり、実際の現実なのです。
つまり、あなた方は「知覚不全を起こしてしまっている」ということです。

ほとんどの人は慢性的に、この「現実に対する知覚不全」の状態にあります。
ほとんどの人は通常、本当の現実というものを全く把握していません。
「不幸」というのは、この知覚不全が起こしている、単なる幻覚症状に過ぎないのです。



508 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 00:55:02 ID:1BEUIOqH0

>「でも現実には、今も何も叶ってない」
「あんたの願望は何も叶っていない」


ここに注意してください。
この「現実に対する誤った認証」が、それにしたがった「誤った現実」という
歪んだ知覚を、繰り返し引き起こしているに過ぎないのです。

そして、これが連鎖的な妄想をますます引き起こします。
知覚は、この見当違いの認識をますます強力に補強していきます。

まず、全ては自分の「現実に対する誤認」から始まっているのだ
ということをしっかりと心に刻み込む必要があります。
あなた方にとって「不幸で確固たる現実」と見えているものは、
全て、この知覚不全が見せている幻影に過ぎないのです。


なぜ、現実の良い面に注目することが大事なのか。
この知覚不全を、少しずつ解消していくためです。
それは、幻想から実際の現実に焦点を合わせていくことになるからです。

「あなたは既に幸せである」というのは、こういうことです。
それは苦労して引き寄せるような性質のものではなく、単に
「本当は既にあるものを、正しい知覚で認識する」というだけのことなのです。



509 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 00:55:43 ID:1BEUIOqH0

このことを理解した上で、このように考えてください。
幸せを感じた後「あんたの願望は何も叶っていない」という声が聞こえたら、

「いかん。また自分は幻想に焦点を合わせようとしていた」
こうやって「幻想を現実だと誤認しようとする」自動プロセスをストップさせます。

「また幻想に力を与えるところだった。危ない危ない。
プロセスが動き出したら(勝手に起動するようになっています)
こうして常にストップさせることが必要です。これを習慣化してください。そして、

「自分はまだ幻想から焦点をはずし切れていない。
だから、こうやって絶えず幻惑されようとするのは仕方ない。
しかし、それらは幻覚だということは認識している」


こういう態度で、知覚不全に対処してください。
最初のところで自分に間違った認定を与えることを、断固拒否し続けるのです。

この態度を保ち続けることで、依然幻想が見えていたとしても、
それをあくまで幻想として対処することが出来ます。

そうすることで、徐々に不思議なことが起き始めてきます。
空を覆っていた暗い雲が晴れて、さわやかな晴れ間が広がっていきます。
それは知覚が矯正されて、本当の現実が見えるようになってきたということです。
あなた方は大喜びするでしょうが、単にそれだけのことなのです。


【第146章】 エゴの見解に依存することなく、常に別の領域の視点に立つ

327 ::2008/05/26(月) 22:28:14 ID:N0LNvjkW0

108さんへ
たぶん最後の質問になるかもですが。私が手放しているのは、もちろんエゴの解釈・判断です。
これは言われるとおりのようにやっています。でも、こればっかりでは生活の基盤がなくなりそうです。
例えば、仕事しなけりゃ収入がなくなる。それで仕事に出かける。
                ↑
それで、この場合はエゴの判断・解釈を採用しています。
でも、このエゴの判断解釈で仕事に出かけ、仕事に時間を取られるのは面白くないですね。
そこで、この『面白くない』という気持ちを手放すようにはしていますけどね。
この『面白くない』という感情もエゴの側にあるものですよね。

で、エゴの側にあるこの2つ『仕事する』『面白くない』がありながら、
この前者だけをつかみ、もう一方を手放すようにしています。

言い方を変えれば、エゴの判断・解釈で行動し、感情だけは外側を感じるということです。
※これはかつて108さんがいっていた「エゴとのダンスをやめる」ということかも。
こういうことは私の場合、仕事の他にも結構多いです。

例えば、早寝早起きして健康を保つとか、普通面白くないことを自分に課しておきながら、
感情は「今」に焦点を合わせ、そこにある解放観、満足感に浸り「気分いい」ように創っています。
それで仕事に興味もわき、うまく行き、人間関係もすんなりいっている。

これでいいですか?と聞いていながら、既にそれをやっているわけで、
それをやめることも現実にはできないので、聞いてもしかたがないこととはいえ、疑問もありです。

どうなんでしょう?ここに自分は、どこかにウソを入れているのでしょうか?
これでは『何もしない』ということと、矛盾してもいるようですしね。


510 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 00:57:36 ID:1BEUIOqH0

>>327(五さん)
> ぶっちゃけた話、今のところ結果オーライで来ている部分も多く、
私の手放しメソッド実践もいい加減なところが多いです。


いい加減で良いんです。そのくらいの感覚で充分です。
だからうまく行ってるんだと思いますw

多くの人と共感して、喜びを交歓してください。
あなたは新しい認識を得て、ますます現実を望むように変更していくでしょうが、
だからといって、他の人と違う特別な存在というわけではありません。

それぞれが、それぞれのレベルで体験しています。
たとえ、引き寄せやスピリチュアルな部分を語り合えないとしても、
あなたも彼らも、全てのレベルで同時に存在しているのです。

そこに共感してください。あなたはどのレベルでも交歓することが出来ます。

> 例えば、仕事しなけりゃ収入がなくなる。それで仕事に出かける。
それで、この場合はエゴの判断・解釈を採用しています。
でも、このエゴの判断解釈で仕事に出かけ、仕事に時間を取られるのは面白くないですね。
この『面白くない』という感情もエゴの側にあるものですよね。


まさにあなたは
「エゴの判断による解釈を採用して、自分は仕事に出かけてしまっている。
なぜなら自分は、面白くないことをさせられているのだ」

こうやって、自ずからエゴを拡大しようとしています。
エゴを注意しすぎるあまり、エゴの影響を感じる部分を許せなくなっています。
かえって、エゴの適用される範囲を図らずも広げてしまっているのです。


496 ::2008/05/28(水) 22:44:33 ID:VqGd0uSG0

108さん
前レス>>327の質問がゴチャゴチャした書き方だったので、
もう少し整理し、追加したことも書き加えます。

前レスでは、エゴを手放すということについて2通りで私はやっている。
こんな感じでいいですか?そういう質問でした。その2通りを列挙しますと

・エゴの判断を採用しない。

(例)残業を断ると、同僚の仕事が増え、感じ悪く思うだろう。でも、その不安を採用せず、帰る。
その結果、同僚の反感はなく、自分もリフレッシュできて満足していい。

・エゴの判断を採用はする。でも、気分はエゴの外側を感じる。

(例)生活を安定させるため、仕事しよう。でも、気分は満足していようという行き方。
これはどこかにウソがある感じもする。でも、自分の決定に徹すると、気分良く出勤できるようになって
きているし、仕事の担当も興味のある分野への配置になった。
 ↑
これでいいの?、いまはこれしかできませんが。という質問でした。

そして追加の部分です↓
でも、この場合も、満足感と歓び(=つまりエゴ以外の領域の感情)があり、その感情に基いて、
現実創造がなされているということでいいのですよね。

以前、108さんが現実をコントロールすることを放棄した方がいい旨を仰っていましたが、
こういうように全て完璧という実感・感情を引き寄せることでもあろうかとも思うのですが。
いかがでしょうか?


511 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 00:58:32 ID:1BEUIOqH0

五さんの引っかかっている部分は、よく分かります。私も通ってきた道だからです。

で、>>496について改めて答え直すと、

1については、どちらでも良いです。
つまり、残業しても、断っても良いということです。
実際に、断ったところで何も問題は起きていません。

ただし、ここを二者択一のように考えてしまうと、

残業→エゴ
断って帰る→別の領域

こういう定義付けをしてしまうことになります。
何度も言いますが、それらは関連していないのです。
だから、

残業→別の領域
断って帰る→別の領域


これも可能だということです。今は、五さんが自分の感情面に注目して、

「恐れを手放し、魂が快いと感じる選択をしている」ということだと思いますが、
行動の選択にかかわらず、どちらも快い現実としてしまうことも可能、ということです。

いずれの場合も、恐れを手放すことは大切ですが。

むずかしいと感じたら、深追いする必要はありません。
今のままでも、五さんは見事に手放すことを適用できています。


512 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 01:00:37 ID:1BEUIOqH0

この1の考え方から、2については自然に答えが出ます。
人生からエゴに関連した部分を全て取り除くことは出来ません。
呼吸もエゴと考えて「じゃあ呼吸を取り除こう」と考えても無理です。
エゴの自分の一部だからです。

自分の人生に現れている要素を、全て「エゴかどうか」という、あまりに疑心暗鬼な態度で、
判別しようとしないでください。どんなものも、エゴを現すものになることが出来るし、
反対に、別の領域の属性を帯びたものとして、現れることも出来るのです。

> 生活を安定させるため、仕事しよう


この判断は本当は違うのですが、今のうちはそう思っていても結構です。

> 気分良く出勤できるようになってきているし、
仕事の担当も興味のある分野への配置になった


もう既に、このような現象化が起きているからです。
この部分では「エゴの判断を採用している」と思っているのにも関わらず、です。
つまり、五さんが(実質的な経験という観点からしても)幸せでいいかどうかは、
五さんが「エゴの判断を採用しているかどうか」ということにさえも、
実は関連していないのです。

これによって、追加質問にも自ずと答えが出ます。
これは五さんだけでなく、全ての人に向けて言います。

「エゴの見解を採用していようがいまいが、それらと全く関係なく
実際の体験として、実質的な幸せを経験して良い」

ということです。

こう考えるとき、エゴの見解を採用しているかどうかに依存することなく、
常に別の領域の視点に立つことが出来ます。


【第147章】 両親の病気と自分のしんどい境遇に対する恨み

492 :本当にあった怖い名無し:2008/05/28(水) 19:27:28 ID:aCIRxxbt0

108さんへ
前スレ>>703>>706でのアドバイスありがとうございました。前スレ113です。
頂いたアドバイスに従って、現時点での不安や不満を書き上げました。

実際に書き上げて感じたのは、現在の環境の悪い部分に焦点を当てていた事でした。

特に、焦点を当てていたのは両親に対してでした。
ここ数年、両親の体調がすぐれず休日は病院の送迎をしたり、金銭面でも医療費の負担が正直いって
しんどいです。何とか生活は出来てますが無駄な出費は抑えています。友人が楽しそうに
旅行やショッピングに行った話などをを聞くたびに、羨ましさと自分の境遇に対する恨みが
どうしても出てしまいます。

(両親に対しては恨みもありますが、産んでくれた事やここまで育ててくれた事への感謝は
もちろんあります。だからこそやり場のない気持ちが出てとても辛いのです)

108さんのエゴや手放しの話はとてもタメになっています。
出来る範囲で実践しようと思っております。しかし観念を変更するだけで、
両親の状況が好転するとはとても思えないのです。


514 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 01:02:57 ID:1BEUIOqH0

>>492
> しかし観念を変更するだけで、両親の状況が好転するとはとても思えないのです。


いえ、観念を変更するだけで、ご両親の状況が好転することもあります。
変更するというより、単に手放すだけですけどね。
でもそれを、

「そうしてもらわないと、自分は損をし続ける」
と考えているとむずかしいでしょうね。そういう考えと切り離す必要があります。

以前、私が名無し時代に書いたレスを覚えている人はいるでしょうか。
とても助からない病状の知人が治癒した話です。
このとき私がしたことは「心配することを完全に手放した」だけです。

> やりたい事を見つかって欠乏感を感じたり、辛い思いやするのだったら、
やりたい事を見つからなかったほうが精神的には楽だったかなと思いました。


やりたいことが見つかったのに、辛い思いをしてしまった。
なぜなんでしょう?そこで思考を働かせたからです。

「今更(年齢的に?)ムリ」
「現職種とかけ離れているから、ムリ」

こんな風にです。
そういう思考を働かせず、まずは喜びに浸ることもできたはずです。
「まず一個、やりたいことを見つけられた」
ということに対してです。


515 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 01:03:34 ID:1BEUIOqH0

ひとつやりたいことが見つかった。
それが実現できるかどうかということと別次元で、あなたはそれ自体を喜ぶことも出来たのです。

でも、心配しないでください。
あなたは今、不足ということに大変集中してしまっているので、
そういった思考と感情を選んでしまうのは仕方がないことなのです。

自分とそれらの感覚が密接にくっついているので、
他人の時計を修理する、時計屋さんの心境にとどまれないでいるのです。

「やりたいことなんて、見つからない方が幸せだった」

これほどあからさまな、エゴのひねくれた見解はなかなか聞けませんw
あなたはそれを引き出せたということだけでも、実はかなり成功しているんです。

あなたは取りあえず「一個」やりたいことを見つけた。
実現の可能性はについては考えないで、その「やりたいこと」が出来ている自分を
想像して、空想の中でそれに浸りきってみてください。

問いかけは続けてください。
今度は別の「やりたいこと」が見つかるかもしれません。
そしたら、またそれに浸ってみてください。

並行して、別の問いかけもしてみてください。

「私は一体どうやって、やりたいことを実際に出来るようになったのだろう?」

考えないでください。
楽しいことに焦点を合わせることを、まず習慣づけてみてください。
変化があったら、またご報告ください。


【第148章】 否定形メソッドは、そこに恐怖心あるかどうかに注目する

503 :本当にあった怖い名無し:2008/05/29(木) 00:09:48 ID:UGNDZeww0

108さんの言うメソッドってたまに○○しないという否定形があるけど、
否定形ってそのことを余計ひきつけるから駄目なんじゃないのか?
○○しませんと願うと、○○がカナってしまうってあったような。
そこらへんどうなの?


516 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/29(木) 01:05:33 ID:1BEUIOqH0

>>503
ちょっと、どのメソッドか思い出せません。一般論としてお答えすると、

「否定形で○○しないは、○○を引き寄せる」
そういう信念があれば、正にそのとおりのことになります。これは、

「潜在意識に否定形はないので、思ったものが刻印され、創造される」
という考えを、敢えて「恐怖心」で解釈したために起こる誤解です。
そこに厳然とした意図や決意があれば、そんなことにはなりません。

ある女性が、全く大嫌いな男性から誘われた。
彼女が即座に「イヤ!」と答えて、その場を立ち去ったとしても、
彼女はその男性を引き寄せたりしませんw

その男性のことを考え「この男性とは、イヤ!」と考えていたにも関わらずです。

恐怖に基づかない決意表明や意図は、単なる認証です。
自分の選択を単に表現したに過ぎないのです。
むしろハッキリ断らないと、気があると思われて面倒なことになるでしょうw
そのとき恐怖心があるかどうかに注目してください。それが指針となると思います。

…こんなところです。ご指名の見落としがあったら、ご指摘ドゾー。