843:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)10:10:08ID:teLZX8Ui0
神、宇宙に良いも悪いもないっていうのは
「神、宇宙が存在するすべてで神でないものは、何もない」 という起源があっての言葉。
善悪という二元性は、人間の世界で成り立つもの。
したがって、善悪がないということにはならない。
二元性の中に、私たち人間が自分や他者の中に共通して持ち得る神・宇宙という
大いなる存在(一元性)を見出す事を勧めるのであって、善悪を決めるな、と言っているのではない。
845:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)14:02:22ID:teLZX8Ui0
宇宙・神に良いも悪いもないというのはまったく文句ない。
宇宙・神には対象性がない。存在するすべてで、存在しないものはないから。
だけど、神や宇宙の次元と人間が生きているこの世という次元、時空とは違うのがわかると思う。
自分達、人間が神や宇宙という存在なら、俺や君という人間の一人として誰も認識できるわけがない。
なぜなら、神や宇宙なら存在する物・しない物含めた、すべての存在であるはずだから。
神や宇宙の次元じゃ人間という特定の存在で認識できるわけがない。
それは人間という存在が、神や宇宙の次元とは、また別の次元で存在している事を意味する。
しかし、一方で自分達には神や宇宙、大いなる存在という、すべての生きとし生けるものに備えられた
真の存在として核があるとも言われる。この核を「神」とか「愛」という人もいる。
神や宇宙は、神や宇宙のままでは経験できない事を体験できる存在として
人間やその他あらゆる生命を創造したといわれるが「神は貴方である」
「神は貴方の中に在る」とか言われる所以はそこにしかない。
846:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)14:04:52ID:teLZX8Ui0
神には善悪や光影、主体客体なんてないから。愛し愛されなんてのもない。
神でないものは何もない。
大体の人間が抱いている、今も蔓延している、自分以外の他者が存在するという二元性。
しかし神は人間にはこの二元性の中に誰もが持つ一元性(神、宇宙、大いなる存在)があるという。
残念ながら、この一元性を見出そうとする人はほとんどいない。
自分と他者は別物だと考え、自分や他者に対して優越感や劣等感を抱けば、
外で笑っていても内側は孤独になる。
その瞬間に自分の本来の存在(核)と離れる。そして、苦痛をもたらす。人間関係も味気ないものになる。
この一元性が人間の中になぜ見出せるのか、見出す事にどんな意味があるのか・・・
答えはもういらないね。
847:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)14:28:06ID:teLZX8Ui0
他者を、自分とは別存在として見るのが、二元性のみの見方。
他者の中に、存在するすべてに繋がる「大いなる存在」を見出すことは、
二元性の中に一元性を見出す事であり、他者の中に神(存在するすべて)を見る事、
他者の中に自分を見る。WEAREALLONEという起源はここにある。
どんな人間関係でも、他者として外側に見えているものは、単なるカーテンのようなもので、
その内側に自分と共通した存在(存在するすべて、神、宇宙、大いなる存在)がある事に
気付きましょう、他者の本質を見ましょう、と勧める意味です。
それがわからなければ
愛されたければ、愛しなさい
理解されたければ、理解してあげなさい
認めてほしいなら、認めてあげなさい・・・・
「与えなさい」という言葉の真意がわかっているとは言えない。
他者を「愛すること」「理解すること」「認めること」・・・・「許すこと」
それが実は自分に対してもしている事になるという意味がわかっていない。
その逆もしかり。
848:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)14:29:05ID:teLZX8Ui0
にしきさんのブログに、こんな質問がリアルタイムであった。
>自分が愛すること、自分が与える事ばかりじゃつまらなくないですか?
これは、人間世界が「愛する者と愛される者」という二元性だけで
成り立っていると考えているから、こう思ってしまう。
この考えを持ったままの人に「愛の本質は、与えることなんです」なんて言われてもわからないね。
おそらくw
戻って、善悪についてだけど『すべての生命に繋がる「存在」(大いなる存在や宇宙)
の概念には善悪はない』と説いたのであって『この世』には善悪はないなんて説いていないのです。
善悪、主体客体、愛し愛され、という二元性は、神や宇宙の概念ではない事を示す一つの方法として
「善悪はない」と説いた。その二元性の中に、神、存在するすべてという一元性を見出す事の意味を
後に示すために「善悪はない」と説いたんだよ。
ただ、それだけの事。
ちなみに、これを誤解すると狂気になるとも説いてるね。
これは罪を犯した者を罰するなということではないよ。わかる人はわかると思うけども。
以上、引き寄せとあまり関係ない「善悪」についてでした。
850:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)18:10:15ID:dZApq6+50
ただそのエイブラハム的には、人間の概念での良い人でも罰せられるだろ?
逆に社会的には悪でも罰せられるわけじゃねえだろ?
宇宙の秩序にそぐわないものが罰せられるだろ?
851:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)18:31:24ID:VYcLjujm0
善=人が望むもの
悪=人が望まないもの
というに過ぎない。
人は、ひたすら、徹底的に、一貫して、
自分の存在状態・波動に対応するリアリティを受け取るだけ。罰はない。
ということになる。
853:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)20:33:16ID:teLZX8Ui0
>罰はない。
そうね。でもこう付け加えよう。
(神はどんな事も)罰っしないと。
神は、罰も与えないし、褒美も与えない。
神は、地獄にも落とさないし、天国にも導かないと。。。
854:本当にあった怖い名無し:2009/07/21(火)21:16:03ID:VYcLjujm0
そりゃそうだが(天国についてはちょっとアレだが)
>人は、ひたすら、徹底的に、一貫して、
>自分の存在状態・波動に対応するリアリティを受け取るだけ。
と書いてまとめられている結論じゃないかね。
863:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)01:06:37ID:utKtxc690
「罪を憎んで人を憎まず」
一般的に言うなら場合によるものと、また端的に言うことができる。
870:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)06:24:48ID:JRhCVNxb0
神対から言うと、
人を憎まず・罪を憎まず、何かを悪と定義することで、
自分は何者であるのか選ぶ。だろう。
エイブラハムなら、
対比的経験をすることで願望のロケットを打ち上げる、という表現になるんだろう。
エイブラハムは実践的で、神との~シリーズは啓示的だね。
871:863:2009/07/22(水)10:30:28ID:ZGZtYge00
神対的には、魂は経験したいことをする。
罪(複数)とはどいうものか、傷つけるとはどのような感じがするか?
それを現実世界において経験するように企てられられる。
それは加害者と被害者が互いに同意のもとで行われる。
だから、現実的一般に思うこととは異なるわけだ。
「罪を憎んで人を憎まず」
これは、一般人が考えるには、神対の真理はまるで知らないだろうから
特定の考え方がそれぞれできる。
私が一般的に考えると、ふつうの人が止むなく罪を犯してしまう場合を想定してしまう。
この場合、凶悪者じゃないのだから、何かの事情が重なり合って起こしてしまう。
だから、人を憎むというのも当てはまりにくいのではないかと思う。
どうだろうか?
878:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)21:26:25ID:JRhCVNxb0
エイブラハムも神対も、(真の)被害者はいない。よって、悪人もいない。
よな?それでよくないか?一般的に言う「罪を憎んで人を憎まず」は、
治安維持&処罰の必要性と博愛の精神を加味した感じかね。
なお、やむなくある行為を行った場合は「罪」にはなりません。
だから、やむなく「罪」を犯すという発想に違和感がある。
(「罪」を認めるからには、前提として期待可能性ありと判断してるはずだから)
872:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)15:20:56ID:Dksri4WQO
罪を憎んで人を憎まずだけに限らず、殺すな裁くななどの各種宗教の戒律
というのは、まだ自分の感覚が戻っておらず他人が存在するという感覚の中に
ドップリ漬かっているときにはあった方が良い考え方だと思うよ。
実際には罪を犯すのも裁いているのも、
また何を罪と認定するかも全て自分で作り出している。
しかしその感覚が掴めてないと、一方で罪を犯しつつ一方で裁くというのを続けてしまい、
自分を傷つけることにもなるし反省することもなく切りがなくなる。
本当は自分しかいないんだから、他人に対して罪を犯せば、
それは自分に対して犯したのと同じであり、また裁くことについても同じだ。
873:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)18:01:05ID:JRhCVNxb0
殺すな・裁くなは、引き寄せ的理由は明快。
その他の深遠な理由もあるだろうが、単なる道徳律じゃね~ぞということが
分かった点で実行する気になる。
非難と裁きは随分減った。もちろん、殺すつもりはさらさないがねw
879:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)21:48:27ID:2xQXtijW0
罪を憎んで人を憎まずっていうのは、周知だと思うけど
「犯した罪は憎んで罰しても、罪を犯した人まで憎んではならない」という事。
つまり
「人間(ここでは、罪を犯した者)と行為(罪そのもの)を同一化して考えなさんな」
という意味。
「人間=思考、行為ではない」という事。
トールを知ってればお馴染の概念だね。
880:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)21:56:55ID:JRhCVNxb0
そうだね。
「行為とはなにか」という議論をすっとばしてしまえばそうなるし、
「罪を犯した」とは何を指すのかという議論をすっとばせばそうなるね。
881:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)21:57:16ID:2xQXtijW0
「人間=思考、行為ではない」トールの概念と
神対の概念の「悪人はいないとか罪人はいない」が結局、通ずるんだよね。
トールはそこから「今に在る」という概念まで拡げていくわけだけど
もう辞めとこかwスレチって怒られちゃう。
882:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)22:02:48ID:JRhCVNxb0
トールというのを知らないんだが「人間=思考、行為ではない」って、
人間は思考であって、行為ではない。
人間は思考ではなく、行為でもない。
どっちの意味なの?ってスレチだからひっそりと教えてくれw
883:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)22:03:14ID:2xQXtijW0
悪人というのは「悪」と「悪を犯した人間」の同一化。
罪人とは「罪」と「罪を犯した人間」の同一化。
ニールもトールも、結局「同一化しなさんな」という事を言ってるんだよ。
884:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)22:06:11ID:2xQXtijW0
わかりにくかったなw
こっちでオケ人間は思考ではなく、行為でもない。
885:本当にあった怖い名無し:2009/07/22(水)22:12:18ID:JRhCVNxb0
レスありがとう。
トールね。オレに縁があったら引き寄せてるだろう。