感覚的には5歳児のままで遊ぶことがとても好きなんです。
私は陶芸家で、歌手でもあり、最近では絵も描き始めたりして、
そんなことに喜びを感じて生きているのですが、
お金を稼ぐためには、そんな事ばかりもしていられないのです。
でも、四六時中そうしていられるならとても幸せだなぁと思っているのです。
楽しいことをしてお金を稼ぐのも可能ですよね。
でもあなたが
「これは遊びだから楽しいことで、これは仕事だから楽しくないこと」
と言っているのだとしたら、
「仕事で楽しむことはあり得ない」と言っているようなものですね。
そうではなく
「私は始終遊んでいる人で、時には音楽を楽しんだり、
陶芸をしたり、また時にはマッサージをして遊んだり、
とにかく・・・私はいつも遊んでいるのです」
「ただ色々な遊びをして楽しんでいるのです」
と言ってはどうでしょう。
「わたしは遊んでいるのです。遊ぶのが好きなんです。一日中遊んでいるのです」
と言えば良いのです。
つまり、どう考えるか・・・なのです。
大体の人は
「これは私の自由時間で、これは仕事の時間」と言いたがるのです。
それは・・・
「これは私にとって自由な時間で、これは私を拘束する時間」
と言っているようなものなのです。
でも
「あなた方にはそれら全てを選択する自由がある」
そのことを知らなくてはならないと言っているのです。
行くのも自由だし、行かないのも自由
お金を得るのも自由だし、得ないのも自由
これをするのも自由だし、他のことをするのも自由
何かをしているときに
いい感じと感じるのも、嫌な感じと感じるのも、それもあなたの自由
それを最高のものとするのも、最悪のものとするのも、それもあなたの自由
ポジティブな側面を見るのも、ネガティブな側面を見るのも、それもあなたの自由
下流に向かう考え方をするのも、上流に向かう考え方をするのも、あなたの自由なのです。
イイ感じに感じるのも、嫌な感じに感じるのも、あなたの自由
安心を感じるのも、その逆を感じるのも、それもあなたの自由なのです。
あなたには完璧な自由があるのです。
あなたには完璧な主導権があるのです。
あなたが自分の思考を方向づける主導権を握っているからです。
ただ、それの練習をしていないから、そうは感じていないだけなのです。
でも、自分の思考をもっと意図的に方向づけていく時間を
もうちょっとだけでも多くとれば
あなたは確実に結果を見始めていくことになるのです。
宇宙はその証拠をあなたに見せてくれるような応援をし始めてくれるのです。
そうなってきたら、本当にパワフルな自分を感じ始めてくるはずです。
この自分に変える力があるのだということがわかってくるのです。
自分の感じ方が変わってくるだけでなく
自分のヴァイブレーションから現実となった結果も
ハッキリと変わってくることになるのです。
その現実は、あなたが感じたものから生まれてきたものだと分かってくるのです。
あなた方には、この瞬間が
最高にセンセーショナルなものになることを常にやってほしい・・・と思っているのです。
私たちは「犠牲を払って何かをする」
そんなあなた方の姿を見たくはないのです。
なぜなら、あなた方は
「こんな努力をしたから、その結果としてこれが得られる」
と思っているからです。
でも私たちは
何かを得たい、何か現実化したいという期待から
目的を決めたり、そこに集中したりして欲しくはないと思っているのです。
それは、この状態からあの状態へという
時空間の現実的な距離をかなり大きくしてしまうからなのです。
そうではなく
「今何を感じているのか、今どう感じているのか」
そこにフォーカスした選択をして欲しいと言っているのです。
そうし始めたとき、あなたが今まで抱いてきた願望は
あなたの人生がイイ感じに流れていくため
そのためだけに存在していたのだということが分かってくるのです。
川下りのガイドさんがジェリーとエスターに何と言ったと思いますか?
「ここはディズニーランドじゃないんだから川を止めることはできないんだよ」と言ったのです。
私たちが言いたいのも同じことなんです。
ディズニーランドじゃないんだから川は止められない・・・のです。
ジェリーとエスターが次に言ったことが信じられますか?
「ボートはどこで引き上げることになるんですか?」と聞いたんです。
彼は「何マイルも先の下流だよ」と答えたのです。
すると彼らは
「それは時間がかかるね。やっぱりラフトをバスに載せて川沿いを運転していくことにしたよ」
「そのほうが近いから、元の場所に戻すことにした」
「だって私たちは、即現実化したい人間だから・・・」
と彼らは言ったのです。
彼は「どうぞご自由に、どちらでもお好きなように~変わった人だね」
と言ったのです。
「だって、川の流れに乗って行きたいから来たんじゃなかったんですか?」
「川の流れに乗りたいから来たんだと思いましたけど?!」
と彼は言ったんです。
「川の流れに乗ること」=「未知から既知へのチャンス」
それは
「自分が望まないことを知り、そこから今度は望んでいることを知っていくチャンス」
それは
「本当に自分の望み通りの感じになるまで望みのものをつかみとっていくこと」なのです。
そしてそこに、ヴァイブレーションをマッチした
現実となるものごとを見ていくことなのです。
そこから、自分の思考と感じていることが
合致していることに気がついていくことなのです。
そして、その感覚が揺るぎないものと感じるまでやり続けることなのです。
そこから、その違いがさらにハッキリしている大きな舞台に上がっていくのです。
また、そのチャンスも多くなっていくのです。
自分自身へのチャレンジももっともっとダイナミックな体験となっていくのです。
あなたが、そのスピードについていっていないことに腹で分かってきたときに
そのスピードについていけている感覚を得るまで意図的に意識を向けていくのです。
そのスピードに乗っていくスリルを味わうのです。
目的地があるからそのスピードのスリルを味わうのではないのです。
そのスピードにドンドン合っていくスリル
波にのっているそのスリルが大切なのです。
ジェリーとエスターはデッキから海に出ていく人を眺めていて
みんながこれから乗っていく波に向かってガンバって漕ぎ出していくのを見ていました。
そしてみんな、波に乗っている時よりかなり漕ぎまくっているのです。
なぜなら、波に乗ったときのスリルはそれだけの価値があるからなのです。
ある時、彼らの友人が家に遊びに来たときのことですが、
彼はウェットスーツを脱がして欲しいと頼み込んできたのです。
彼の手が本当に凍ったように冷たかったので脱げなかったのです。
その時エスターは彼に向かって
「そんなになるまでやっていたの?」と言ったのです。
「動かなくなるほど手が凍っているというのにどうやってここまで運転してきたの?」
「だって、波に乗るってそれほど気持ちのいいものだからだよ」
と彼は言ったのです。
私たちが伝えたいのも同じことなんです。
波に乗るということは本当にそれだけの価値があることなのです。
あなた方はその流れを学びたいと思っているのだし
下流の流れも上流の流れも体験したいと思っているのです。
あなた方は、自分が何をしたいのか、それを知りたいと思っているのです。
波をつかむということは本当に価値があることだからなのです。
あなたがここに来たということは、もう流れに乗ったからなのです。
あなたは流れに乗ったのです。
あなたは自分が掴みたいと思った波に近づいて
そこで遊びたいと思っているのです。
川の流れは常にそこにあって
あなたが波に乗ってくれるのを待っているのです。
体験したこともない最悪の大波を望むことはないのです。
波はあるがままの波のままでよいのです。
この波、あの波、あの波・・・と乗っていけばよいだけなのです。
そうなったら、その波が
あなたをどこへ連れていこうがそんなこと気にならなくなってくるのです
だってあなたは、波に乗っているのですから・・・