【画家式】 自分を認めたくない気持ちが、自己嫌悪を維持させている
【LOA】ザ・シークレット【引き寄せ】その42より

ライバルが増えるような気がして、自分の知識を他人に教えない自分が嫌です
1人でいると寂しいけど、他人と関わるのは面倒に感じます



332:本当にあった怖い名無し:2008/11/01(土)08:35:12ID:U2hdZyGDO

疑問がわいてきたので失礼します。
就きたい職業のために、ダブルスクール?をしているのですが、その職業について
(もともと通っている)学校の知人に尋ねられることが嫌というか聞かれたくないんですね。

それ自体はともかく、早めに勉強しておくといいよとかは伝えるんですが
こんなことやってる、これが難しいから通ったほうがいい、とかは伝えたくないんです。
敵をつくるような気持ちがなんとなくあって。

でも自信があったら教えてあげられるよなーとか
ライバルを増やしたくないなんて自分嫌なやつだなーとか

今までの受験の時にはまったく考えたことなかったので…
日々気分よく生きることや自信をもつことに影響しているような気がしてならないのです。

他にも色々望みはあるんですが(むしろ職についてはあまり大きな願いとは思っていない)
自分駄目だと思ったり、嫌な気分になるのが気になります。
108さんや皆さんはどう思われますか…?

あともうひとつ
「関連させない」というのは関連した思考をしないということでしょうか。


338:画家:2008/11/01(土)12:37:44ID:I5aHKFi20

>>332
こんにちわ。
趣旨がつかみきれていないかもですが個人的な体験を。

>敵をつくるような気持ちがなんとなくあって。


大丈夫。あなたが知っていること、コツ、秘伝、全部オープンにしても大丈夫ですよ。
根拠はありません(爆)勿論あなたの自由です。

これね、説明しにくいのですが、
私の体験では全て出し尽くした方がいい結果が出ます。

どう言ったらいいか。

私自身、失われた技法を10年くらいかけて復活させて、
よくそれを使う仕事を引き受けるのですが、誰にでもお教えします。出し惜しみはしません。
何故か。ひとりで抱えてても勿体無いからです。

「みんなが出来たら君の仕事に差し障るのではないか」とよく言われます。

答えます。「問題ありません」と。
あまりに質問が集中するからいちいち手順を答えるのもめんどくさくなってテクストを編みました。
テクストの最後に私家版だから数量が限られている、自由にコピってくれておkだ、と書きました。
このテクストのお陰?で更に仕事が増えました。

「敵が増えるかもしれないからこれは黙っておこう」が逆に敵を増やす意識だったり。
なぜならそれは敵の存在に支えられた意図だからです。

こんなところですみません。


341:本当にあった怖い名無し:2008/11/01(土)13:39:31ID:U2hdZyGDO

>>338
そうですよね、それがそうだと思うんですが
(今までの受験の時はなんの躊躇いもなくそうしてきました)
嫌だなぁ話したくないなあと思ってしまうのです。
それでまた「私は優しくないなあ…」と思ってしまったり…

怖いのかもしれません。こういう気持ちをどう捉えたらいいのでしょう?


343:画家:2008/11/01(土)14:20:35ID:I5aHKFi20

>>341
>嫌だなぁ話したくないなあと思ってしまうのです。


別に「話さなければならない」わけでもありませんw
話したくない、という思いを認めてやってください。
それを優しくない、とか判断しないこと。

話したくないなぁ、という気持ちを否定するとき、いよいよ話したくない気持ちを強めます。
判断すると気持ちが色濃くなってしまいます。
話したくない気持ちを判断せず「とにかく話したくないんだ」と認める。
話す、話さないの是非は別にしてそれをやってみてください。



340:本当にあった怖い名無し:2008/11/01(土)13:15:10ID:C5t3xabX0

画家さん横レスですみません。
LOAに関しても同じだと思ってもいいですか?
理解してもらえないのではないかと思いながらも
こんな面白いことはシェアしたい気持ちとの間で葛藤してるんです。

こう書き込みしながら、人間関係に囚われてる自分を認識しています。
寂しい気持ちと一人でいたい気持ちとの間で葛藤しています。

現状は寂しくて、一人でいたいのは強がりなのかもしれないけれど
メールが来てもあまり嬉しいとも思わないし、気が乗るまでしばらく時間経過してから返信しています。
自分はどうなりたいのかがわからないので、どうしようもない感じです。


342:画家:2008/11/01(土)13:50:44ID:I5aHKFi20

>>340
自分にはふんだんにある。それは無尽蔵ゆえにいくら持ち出しても尽きることはない。
そんな意識を選択すれば無尽蔵顕現することになる、と考えると殆どLOAですね。

>自分はどうなりたいのかがわからないので、どうしようもない感じです。


どうしようもない感じ、それはあなたにとって望まない状況でしょうか。
ならば「私は何を望んでいるのか」思考を交えずにただ問うてください。
あなたが単純でありさえすれば明らかになると思います。

レスを拝見しているとあなたは自分のことをあまり好きではないような気がします。
人間関係のアーキタイプは自分との関係です。

あなたの中に自分との齟齬を感じているのならそれが現実に見えます。
それが教えてくれる。

自分のことが好きじゃないのならどうか自分を好きになってください。
「こんな自分、どうやって好きになったらいいんだ?」
どうもせずにただ好きになってください。なれます。

面白いことに、
自分のことを好きでいるとひとりでいても寂しくなくなります。
ひとりでいても寂しくなくなるといろんな人が寄ってきます。


自分のことが嫌いだと他人がめんどくさくなります。
それでいてひとりが寂しい、と感じる。
何如でしょう。


367:本当にあった怖い名無し:2008/11/01(土)16:22:01ID:aX3OVMmo0

画家さん
私も便乗して質問させて頂きたく思いました。

私は特定個人の恋愛をやっていて、最近相手をコントロールしている自分に気づき
相手への執着がなくなったと気持ちが軽くなっていました。

すると今度は人に触れていたいのに、一人で居たい。なんだか無気力全開になっています。
そこで、私も自分を好きでないんだな。と思い、自分を好きになってみたのですが、
心は「もう好きになるという『努力』すら疲れたよ…。全部もう嫌。」と言っています。
こういう時、どうすれば良いのでしょうか。

でも、あれ???なんだか書いていて、それを感じればおkと自分で答えが出てきた気もしますw
あれこれ、しなくちゃと義務感にしばられていたのでしょうか。。。


407:画家:2008/11/01(土)23:09:17ID:I5aHKFi20

>>367
こんばんわ。
既に自分でお答えのようですw

>「もう好きになるという『努力』すら疲れたよ…。全部もう嫌。」


正直な声だと思います。
つか自分を好きになる努力って一番きつそうw
簡単な話「ああ、私は自分を嫌ってんだわ」と言うことが解った瞬間にそれは終わる。
自分を嫌っている自分を認めたくない気持ちが自己嫌悪を維持させている。


そもそも自分を好きになるって自体、語弊があることにお気づきだと思います。
或いは自分を信じる、ということもです。人はいつでも100パー自分を信じています。

自分が嫌だ、信じらんない、なんて言ってる人でもその
「自分なんか信じられない」ということを100パー信じている。
「50パーくらいは信じれる」と100パー信じている。

実は我々は何をやろうと何を考えようと、
この「信じる」ことから一歩も離れてはいないんです。


私はダメだ!と思っている人はその瞬間、それを信じている。
俺ってまんざらでもないんじゃね?と思った人も同じ。

こう考えてゆくと「信じたいように信じればいい」という単純明快な選択(これも語弊あり)が出来る。
「信じたいように信じればいい?そんな馬鹿な」と感じた人は「証し」によって
信じたり信じなかったりすることを信じている人です。

「証し」は後で来る。
と認識している人は自由になんにでも信を置く事が出来る。

なんかこんなコメントが出てきました。何如でしょうか。


435:367:2008/11/02(日)00:32:33ID:8P+Y3gWh0

>>407画家さん
こんばんは。こうしてどなたかに語るだけでも整理がつくものですね。
さらに的確なお返事頂いて、ありがとうございます。

>簡単な話「ああ、私は自分を嫌ってんだわ」と言うことが解った瞬間にそれは終わる。
自分を嫌っている自分を認めたくない気持ちが自己嫌悪を維持させている。


それだ!と思いました。「自分を好きになれない自分」をまた「好きになれない」。
これじゃあ無限ループですよね。いらない努力をしていました。
「私さ、自分のことが好きなんだよw」と素直に認めて自分に告白してしまえばそれでよかったんですねw

>「証し」によって信じたり信じなかったりすることを信じている人です。
「証し」は後で来る。と認識している人は自由になんにでも信を置く事が出来る。


つまり「証し」=「現象」が起きたら自分を信じよう、と思っているということでしょうか。
だから、先に現象に価値を与えずに、まずは自分を自由に信じていればよい、ということですね。


452:画家:2008/11/02(日)01:36:37ID:n+uYHOdW0

>>435
>だから、先に現象に価値を与えずに、まずは自分を自由に信じていればよい、ということですね。


現象→確信が今までのパラダイムですよね。我々はそう信じてきた。
しかし確信→現象のパラダイムがある、実際は寧ろこのように展開していたんだ、
と言うのがLOAの気づきです。

ですから今展開している現象を主として意識を従わせるのではなく、
意識の焦点を変えれば展開する現象が変わる。


幸せについてもそうです。
現象→確信で行きますと幸せな条件が整わないと幸せにはなれない、と定義する。
で、せっせと幸せの条件を集めて原因→結果を生もうとしてきた。
曰くお金、仕事、名声、地位、家庭、生活の安全、etc etc
で、頑張って頑張ってやっと掴んだ幸せの条件。

しかし条件にはキリがありません。
用意しきれなかった条件、未発生な条件があなたを不安にする。
またいつこれらが無くなるのかわらない、それさえ不安になる。
条件が不安を生んでしまっているわけです。

一生懸命に頑張って、あら?これが幸せか?とふと疑問を持つ。
頑張り続けなければあなたの幸せは瓦解する。正直疲れる。
こころにすきま風が吹く。これが刷り込まれた幸福論です。

では確信→現象のパラダイムではどうか。
先ず幸せであること。ここから始まります。ぶっちゃけると幸せは一種の気分です。
その気分、心地よい自分で生きてみる。


あなたは心地よく元気で様々な人に接する。
心地よく元気なあなたのひかりにみんな憩う。幸せなあなたは幸せに振舞う。

現実はそんなあなたを現実面でもそうあらしめるような展開をする。
お金も仕事も名声も地位も家庭も生活の安全も。

それは不安で手に入れたものではない。全く逆なんですね。
あとはご自分で展開してくださいまし。



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